令和7年から市整会第11代会長を拝命いたしました小竹志郎と申します。
市整会、正式名称は大阪市立大学と府立大学との統合に伴い、「大阪公立大学整形外科開業医会 市整会」となりました。文字通り、大阪公立大学医学部の整形外科に属し、開業医として働く約200名の集団です。
ここでは一般の方すべてにオープンなホームページということで、少し市整会という存在を医療の世界の構図からお話しさせていただきます。
そもそも整形外科とは、日本では100年ほど前にBone&Joint Surgery つまり骨関節、運動器の専門科として一般外科から独立した科であり、さらに歴史的にはOrthopaedicsという一般的には馴染みのない整形外科を表す語彙が、子供の矯正という意味であり、市整会会章をはじめ各種整形外科医会のシンボルマークに桜等の樹木を当て木して矯正する図が使われるのも、手術という近代医療の誕生前、ギリシャの昔から小児の側湾症の矯正術等人類の医術として存在したことを表します。また日本では、武術の心得としての骨つぎという伝統医療があり、これが明治以降近代医療の導入に際し医学教育に吸収され、近代戦争によって発達した外傷外科学と共に進化してきた経緯も併せ持ちます。
現代において一般外科はその後、脳外科、心臓血管外科、消化器外科等に分科し、さらにはそれぞれに対応する各内科と合わせ、専門的に高度な発達を遂げていますが、例えば消化器外科医が心臓の手術に関わることもなければ、骨折の手術までこなすようなことは通常はありません。
一方、整形外科はそもそも対応する内科が存在せず、手術による治療の有無によらず、おおまかに言えば、首から下の内臓以外ほぼ全部、という非常に広範囲な領域を担当する科目として発達しました。
それゆえ一般の皆さんが痛み等何か困ったことが起きて、救急車を呼ぶような状態ではない場合、明らかにこれは何々科と判別がつかず、さてどこを受診しようということは多々あるはずですが、その際にかかりつけの整形外科開業医に相談いただくと、自院で対応すべきでない場合も、これはこの科に、または整形外科でもこの専門のこの病院、この先生へ紹介というような道筋をつけてもらえるはずです。
この辺り専門細分化しすぎた現代医療の問題として総合診療科的な試みがされてはきたものの、実質的な普及が困難な中、各科別の開業医がいるという他国にあまり無い恵まれたい制度の中、整形外科開業医をかかりつけに持つという一見意外な有用性があると思われます。
その整形外科開業医とは何者か、そこに至る道筋ですが、令和7年の日本では医学部を卒業し、医師国家試験に合格して医師免許を取得すると、二年間の初期研修をある程度の規模の病院で学び、その後に何科の医師になるかを自ら選択して、多くはどこかの大学の何科かの医局に所属して、ここから医師としての本格的な研修というか修行が始まります。
医師、特に直接患者さんに相対する臨床医には知識や技能、対人能力、等々膨大で広範なスキルが当然のこととして要求されます。それらを新人医師たちが短期間に(と言っても5年10年のスパンですが)安定的に習得していくには、どれほど優秀な人間でも、現実にそれらのスキルが実践されている場に自ら参加して正に体験として身につける他はありません。もちろん相手は現実の患者さんですから、当初新人の存在は正直現場の邪魔でしかなく、その中で先輩方や他職種のベテラン、同僚たちに守られ育てていただいて少しずつプロへの階段を登っていきます。
またその学ぶべき医療の中身という点でも、日本は、世界的にも歴史的にも奇跡的と言うべき国民皆保険制度をいまのところ維持している国であり、医師としてこの国で働くには、美容整形等一部の自由診療を除き、保険医として、制度に従った標準的な治療を公定価格で行うスキルを身につけなければ正直使い物にはなりません。例えるなら、天才的な運転技術のあるパイロットがいたとして、航空法その他の各種ルールや運行システムに精通することなく、奇跡の曲芸飛行ばかりする、そんな機長に時々当たるとしたら飛行機など恐ろしくて誰も乗れないというところでしょうか。現実の医療は飛行機の運行以上にそれを必要とする人々のできるだけ多くに、安全に安定して提供されることが望ましいのです。
ブラックジャックに憧れて医学部を志した方は古今多くおられると思いますが、その手塚治虫のフィロソフィーやストーリーの価値は置くとして、現実にはブラックジャックは存在しないだけでなく存在してはいけないということが、この世界に永くいると否応無く身に染みます。ブラックジャックがどこかに居てうまく探せば私もその恩恵に預かれるという世間一般の二重の妄想を打ち砕きつつ、日々の当たり前の仕事に忙殺されるのが我々医師の宿命というわけです。
そういう世の中の現実に役に立つ医師をある程度大量に安定的に育成するために大学医局というシステムはそれなりに適切な働きをしてきたのだと思います。所属する医師側から見ればプロとして育ててもらえる環境はその質の良否はかなり運にも左右され、前近代的徒弟制度として、非人道的労働環境や人事評価等数多の問題はあったにせよ、モーレツに働き続けてくれる医師たちの存在は、医療体制を享受する国民の側から見れば、当たり前に存在するものの実は稀有な幸運のひとときであったかもしれません。
その医師たちの生産元であった大学医局というと、世間のイメージではいまだに白い巨塔的に権力欲の塊の全権を握る教授がふんぞり返って利権を享受しているイメージでしょうが、現代の教授は、上下に内外に笑顔で気を遣いつつ、他業界の出世頭と比較すればとんでもない薄給で、ひたすらタフに東西を奔走するという実態は皆さんの驚きを超えているかもしれません。その下で採算の取れるはずのない大病院が、今までのような教育研究機能をいつまで果たすことができるでしょうか。
同様に金満の象徴であった我々開業医も、外からは過去の資産とイメージの残余で見えにくいものの、その多くが現実にはかなりつつましい暮らしぶりであることは業界の中からは一目瞭然で、早晩自営業としての存続危機が多発するのは必定と思われます。
さらには中堅世代の病院勤務医からも今はひたすら手術して後は開業すればなんとかなるという時代が過ぎようとする不安から現在のハードワークに耐える動機が急速に萎んでいきます。
今後しばらくは高まり続ける高齢化率の中、我々整形外科医は、次世代のプロをいかにして育て、その後それぞれの適性に応じて_大学での教育研究者、病院での入院手術に対応する勤務医、地域でのかかりつけとして日常診療に幅広く対応する開業医、この3者を適切に選択し、その連携と分担により、社会のインフラとしての任を果たしうるのか、変わりゆく世の姿の先を見据えての展開が必要と考えます。
この国の未来のために市整会が役にたつ存在であり続けることを切に願います。
令和7年7月 市整会 会長 小竹志郎